名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

変人大集合、しかし義直も人が悪いな

元禄7年4月11日。
この日、(小出)侗斎の席上で文左衛門は様々な話を聞くことができた。
普通の人の変わった話は古から今まで数知れなかった。
源敬公の時代の何の某という者は焼味噌をたいそう苦手であった。
公がこれを聞き及び、ある日試してみようと焼味噌を肴にして盃を面々に給わった。
この者には焼味噌を自ら下された。
嫌ではあったが、やむを得ず手をさし出し焼味噌を頂戴した。
しかし、手を引くことも出来ず、たちまち木像のようになり、急いで次間で捨ててしまった。
その後味噌の跡が赤くなり、そこから段々と腐って死んでしまった。
彦坂八兵衛は蟒(岩波文庫版だと蝙蝠)をとても怖がった。
絵に描かれた蟒でも怖がった。
御城附の際、御殿で御城書を御小姓衆から請け取った。
しかし、浜嶋宇右衛門の御小姓が書付を持って来ると八兵衛の顔色はにわかに変わってしまった。
宇右衛門の紋が蟒だったためである。
奥津氏が言うには、加納のある侍は大豆を恐れ、これを見るとひきつけをおこした。
荒川孫四郎・岡部次郎右衛門は共に鼠を恐れた。
岡田八左衛門は煙簀・松虫を嫌った。
羽田宗有は蛙のあぶったものを好んだ。
その味は鶉に似ていると。