名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2025-08-01から1ヶ月間の記事一覧

なぜかなあ

享保2年2月22日。鳶・烏の巣があればとって捨てるように言ってくる。手形米は4斗5升。

なかなかの策略

享保2年2月19日。近頃、鍛治屋町下吉田伝右衛門のところで博打の最中に、門の外から捕り手の者と称して押し入って騒いだので、客は横町の竹垣をくぐって吾も吾もと逃げ出した。その中には諸士も多くおり、町人も交じっていた。申半(午後4時)頃で見た…

名古屋の話ではないですが、優れた人物のお話

享保2年2月11日。若狭守は名君と云々。この度加増・所替にあたって人を召し抱えるための書付。家督を相続してから、是非一度は父の恩に従った譜代の諸士を日頃の困窮や飢えから救い出したいと願ってきた。しかし、暑さ寒さにも耐えて下々まで勤めてくれ…

10日より1升ほど下がっている

享保2年2月14日。手形米は4斗3升。

まだ慣れていない馬だと大変

享保2年2月10日。手形は4斗2升あまり。杉の町で左右田与平の子で和田六左衛門の弟子である藤左衛門が馬を乗りならしていて片方の鐙(あぶみ)が外れ、踏みなおそうとすると馬が横を向き、成田新五左衛門門の入口の柱に強く打ち付けられた。反対側の上…

久しぶりの出張

享保2年2月9日。文左衛門は上京の用務を仰せつけられる。

うーん、真相は

享保2年2月8日。近頃のことか、北の方に火柱が見えるからと、夜ごと志水や御用水・安井のあたり・武兵町あたりなどに人が集まる。弥四郎の家で見物すると。真北の山上から少し離れたところに箱提灯ほどの大きさで、周りには小さな火柱が見える。1晩中見…

確かに物騒

享保2年2月7日。戌(午後7時)過ぎ、日置橋のあたりの2、3軒が焼ける。(下に詳しく記す)。主税殿下屋敷も少し焼ける。近頃、町中とても物騒で、番も増やされ、絶えず見廻る。道行く人を送り届ける。伝馬橋堀川端の炭屋清次郎借屋の明家から出火する…

享保2年2月の天気です

享保2年2月1日。晴。1晩中風が吹く。享保2年2月2日。1日中、1晩中風が吹く。享保2年2月3日。夜更けに時々雹が降る。享保2年2月4日。曇。辰(午前7時)過ぎ、わずかに雪が降る。その後、時々小雨が降る。享保2年2月5日。快晴。穏やかで暖…

原文はせはやきなので世話焼きかと、でもいい意味じゃないですよね

享保2年1月30日。大津瀬左衛門はとても世話焼きであった。妻も産後乱心となっていたが、これもあまりに世話焼きだったためである。常々日が暮れれば男たるもの台所口から中へは入らなかった。自分には振袖(年頃の娘)2人を召し仕えていた。黒田文右衛…

兵助って兵部の間違い?

享保2年1月29日。兵助殿が名古屋へ到着する。

疑心暗鬼

享保2年1月28日。申(午後3時)頃、火事の噂がある。戌(午後7時)過ぎ、火事の噂がある。近頃、町々では用心して眠ることもできず。また通りを行く者から目を離さず注意する。

同一犯か

享保2年1月27日。この日から橘町で操りが行われ、大夫は染河津大夫、ツレ(脇役)は豊竹品大夫。戌(午後7時)前、九十軒町で放火がある。服部所左衛門町家の板屋が少々焼けるが、そのまま消し止める。文左衛門裏の辰巳(南西)で大騒ぎになり、その音…

若い2人が一つ屋根の下

享保2年1月26日。戌(午後7時)頃、枝木町で火事だと騒ぎがある。平岩十右衛門長屋の家持の火燵から火が出たと。夜が更けてからもどこかの火事の噂がある。これを文左衛門は知らず。大津猶右衛門が女を殺して死ぬ。猶右衛門は新左衛門の弟であった。広…

雨なら仕方がない

享保2年1月25日。橘町で国姓爺の操りが始まるはずが、雨のため順延となる。引起の早証文手形は3斗9升。

水は大切

享保2年1月23日。文左衛門は井戸の囲い5つを4つにすると左次兵衛に言いつける。費用は、ひば(檜葉)1寸(1寸は約3センチ)、諸々、手間賃とあわせて1両。他に日用2人を入れる。桶は少し前に大きいものにする。

これはナイス

享保2年1月22日。戌(午後7時)過ぎ、西新町・山田彦内から3軒北の東側借屋の裏から火がぱっと燃え上がるが、そのままもみ消す。大いに騒ぐ。

1両だと2800文

享保2年1月18日。銭は1分で700文。

江戸時代の介護休暇

享保2年1月15日。昨年冬、吉田八郎左衛門は看病を願い出て江戸へ下らず。

正月早々

享保2年1月13日。中条伊豆守が兵部と交代のため尾張を出発する。

酒でも飲んでいたか

享保2年1月9日。萩野又市は横井新蔵のところへ出かける。気分がすぐれず、聟の深津助右衛門のところまでたどり着いて死んでしまう。70才か。関作右衛門のところで一家の供応が行われると云々。杉立八郎右衛門子の助三郎15才と伴右衛門が戯れて、助三…

養生しないと

享保2年1月8日。左右田九平のところで兵法の遣初(つかいはじめ、稽古初め)が行われ、野中彦左衛門も現れたが、急死する。62才。日頃胸に痛みがあり、今月2日にも強い痛みがあったと。

誰かに狙われている橋爪増左衛門

享保2年1月7日。橋爪増左衛門が名古屋に到着する。病気だからと勤めに出ず。丈助は金谷で出会う。14日から増左衛門は勤めに出る。

この2人は借金のことでもめていた

享保2年1月6日。御納戸手代大矢才右衛門は許され、以前のように勤める。相手の高田小右衛門は昨年冬に城下町続きを追放される。

片山勘之右衛門は年末に乱心

享保2年1月5日。片山勘之右衛門のことが決着する。翌6日に犬山町奉行伯父片山金左衛門が一緒に出かけ、金左衛門のところに引き取る。勘之右衛門は600両の金持ちと。親類いずれとも関係を絶っていた。

正月ですから

享保2年1月2日。卯(午前5時)過ぎ、文左衛門は礼に出かける。朝食に戻り、また出かける。方々で勤める。申半(午後4時)過ぎに戻る。

年の初めの雷爆発

享保2年1月1日。卯(午前5時)過ぎ、文左衛門が頭へ出向き、親子に会ったところ修理殿が言われたのは6つ(午前6時)前に集まるはずなのになぜ遅れている、頭を何と思っているのかと。散々腹を立てられ、何度も怒られる。出かける際、玄関で藤江八兵衛…

享保2年1月の地震です

享保2年1月7日。昼前、少し地震がある。江戸でも少しの間であったがかなりの地震がある。享保2年1月24日。夜半前、地震がある

享保2年1月の天気です

享保2年1月1日。雪が降り、未(午後1時)から止む。晴。享保2年1月2日。明け方前から雪が降る。時に雪は小降りになり、時に止む。昼前から雪は止む。晴。享保2年1月3日。快晴。享保2年1月4日。晴。昼頃、少し雪が降って止む。晴。享保2年1月…

哀れな老人

享保1年12月29日。赤津粉屋勘右衛門弟が2、3日逐電する。この夜、熱田で見つけ、船に乗っていたのでその船待てと呼びかけると、男は海に飛び込む。女を連れていたが、女も飛び込んだところを引き上げられ、2人とも死ななかった。女は鮎川甚ノ右衛門…