2025-04-01から1ヶ月間の記事一覧
正徳4年12月27日。深夜、乾(北西)から地鳴りがして地震がある。8年前の地震より最初から大きく揺れ、揺れた時間は短い。揺れがおさまると8つ(午前2時)の鐘が聞こえる。夜明けまで2度揺れる。少しずつ揺れることは度々ある。母と共に中門まで行き…
正徳4年12月1日。雨が未(午後1時)から止む。夜、晴れる。正徳4年12月2日。晴。未(午後1時)過ぎから曇る。夕暮れから雨が降る。夜半から雨が止む。今日は暖かい。着るもの一重を着る。夜も暖かい。正徳4年12月3日。曇。この日は昼夜とも晴…
正徳4年11月30日。七つ寺の謡仕舞がこの日限りで終わる。禁裡の役者だと云々。地謡がとくによかったと云々。毎日見物が群れ集まる。佐藤善次右衛門知行所中嶋郡池辺村の百姓7人が妻子を捨て置いて逐電する。高100石と云々。御代官衆などに報告し、…
正徳4年11月28日。中の町西側300石壱岐守組久米市右衛門妻が3歳の男の子を自ら抱えて獅子舞を見物に向かいの御馬廻木村弁右衛門のところへ出かけた。妻は初め妾であった。妻は井戸に身を投げ、子どもは死んでしまうも妻は死ななかった。弁右衛門は…
正徳4年11月24日。近頃、広小路あたりの町屋で女房を世話することで成瀬修理馬屋の者と福留伝右衛門若党が喧嘩となる。若党はひどく踏みつけられ、おめおめと伝右衛門のところへ帰る。伝右衛門が馬屋の者を殺そうとしたが、旦那寺が衣を着せて詫びさせ…
正徳4年11月23日。水野和泉守が上京のため熱田に泊まる。
正徳4年11月22日。源右へ頼母子懸金を返金する。3分と1匁2厘を遣わす。
正徳4年11月21日。文左衛門は役料の䦰は203。十郎右は1232。
正徳4年11月20日。この日から切米の手形のくじ取が行われる。
正徳4年11月18日。米がにわかに下がり、1両で4斗6、7升となる。銭800の口は10文。ぬき(貫、1000文のことか?)切賃は70文。江戸・京・大坂よりも尾張の米の値段は高かった。これは延べ(先物取引)をするためと云々。近頃延べをした者…
正徳4年11月16日。昼から頼母子会に服部一郎左・十郎右・瀬左・八郎右・清左衛門を呼び、夕飯を出す。清左衛門は酒だけを飲んで帰っていく。源右は娘が昨夜からまた病気とのことでやって来ず。10両の頼母子は八郎右と文左衛門の控え(?)に落ちる。…
正徳4年11月15日。内藤喜左衛門が江戸を発つ。五十人目付藤田弾右衛門が11石3人扶持、小普請となる。その上でしばらく遠慮・引込となる。これは瑞祥院様(徳川吉通正室)が名古屋へ戻られる際、上松で土岐甚右衛門・大橋勘左衛門が泊番であったとこ…
正徳4年11月13日。松井与兵衛の役の者が在所で女房を差し殺し、自害する。近頃、桜町の貧者が首をくくって死ぬ。日光への来春の名代を成瀬隼人正に仰せ付けられる。
正徳4年11月12日。巳半(午前10時)、琉球人が上畠筋から本町を通る。伝馬町を下り、東側十一屋のところで昼休みをとる。琉金人が通る時は木戸を閉ざす。薩摩殿は辰半(午前8時)に通られる。文四の案内で母・スメなどは達(午前7時)頃茶屋のとこ…
正徳4年11月11日。万松寺寮翁逸堂が隠居を願い出る。15日、隠寮(長老の居所)へ移る。儀式は厳格であった。
正徳4年11月10日。近頃、大野彦之助は巾下から鍛冶屋町三沢源右衛門のところ替わる。源右衛門は新町新井伴左衛門のところへ替わる。伴左衛門は巾下へ替わる。三所替えであった。芳安の子である彦之助が両方へかなり金を出す。近頃、川村茂市は妻を妬ん…
正徳4年11月9日。大坂松本町船頭政之助25才の口上。この者は当町紙屋理兵衛の船頭で去年巳11月19日に材木・米などを積んだ船に乗り、当地堀川から出航し、同21日志州鳥羽へ到着し、そこから紀州里の浦へ向かい、同28日夜出航して大坂を目指し…
正徳4年11月7日。法事のため物静かにするようにとの廻文がある。
正徳4年11月5日。近頃、蓮花寺が叱られる。法華寺後任住持の仲介のことで。近頃、本立寺の筋向いじゆけん(壽元)寺が逐電する。借金のことと云々。近頃、萱屋町観音が隠居する。この春行った四十八夜の金200両余り全部を博奕で失ったため。禅寺町の…
正徳4年11月4日。近頃、熱田本遠寺が叱られる。法花寺後任のことで不届きがあったと。近頃、古渡日蓮宗久源寺が門を閉ざして談義をする。萱津妙勝寺がこのことを調べて奉行に知らせると云々。談義を行ったのは以前大乗院といった京妙満寺を追放になった…
正徳4年11月13日。この日の明け方、地鳴りが1度する。正徳4年11月29日。明け方前、地鳴りがして地震がある。夕暮れに地震がある。
正徳4年11月1日。快晴。厳しい霜が降り、薄氷が張り寒い。正徳4年11月2日。快晴。正徳4年11月4日。快晴。夜、西風が家を揺らす。正徳4年11月7日。夜、寒くて震える。正徳4年11月8日。薄氷が張る。正徳4年11月12日。快晴。正徳4年…
正徳4年10月29日。25日に大熊雲八に頼んでおいた万4尺、中桧120丁が運ばれてくる。車力代は1貫124文。
正徳4年10月28日。瑞祥院様(徳川吉通正室)から金300疋が下される。この暮れは8分(8割)の買留で値段は5斗3升。この日の明け方、荒川安大夫は急に痰がつかえたが、十蔵は毛利才右衛門に針を頼みに行った後だったので死んでしまったと。急変す…
正徳4年10月25日。文左衛門はこの日まで毎日寺を詣でる。
正徳4年10月24日。初七日の法事をこの日に行う。昼過ぎから詣でる。
正徳4年10月22日。昨日の朝、八平を遣わし、竹垣を結わせる。辰半(午前8時)過ぎ、寺を詣でる。今日は昨日のように涙が流れず。ああ、薄情で親不孝だ。
正徳4年10月21日。巳(午前9時)過ぎ頃、文左衛門は参詣の道すがら涙をこらえきれずに未(午後1時)過ぎに帰る。皆が遅すぎるというが、これはいつものように歩けなかったため。文左衛門は3、4里(1里は約4キロ)歩いたほどくたびれる。今日、明…
正徳4年10月20日。卯半(午前6時)、猪股小平七の長屋・本屋が残らず焼失する。博奕の宿をやっており、夜な夜なけんどんをたくさん取り寄せ、かつ2人の娘を次の間に寝かせ、みだらなことをして金を取る。近頃もある者が70両を負ける。座の中に30…
正徳4年10月21日。この日頃、定光寺が出世に京へ出発する。520両下される。