名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2025-04-01から1ヶ月間の記事一覧

遅い時間ですね、真っ暗では

正徳5年1月12日。東照宮の正遷宮が戌刻(午後7時)に始まり、亥刻(午後9時)に終わる。

林右衛門って何者だ

正徳5年1月15日。正遷宮に付き、いつもの通り下されたのは維摩院に銀10枚、時服2、吉見左京に銀5枚。昨年冬の林右衛門のことで調べることがあると小塩与五左衛門に鈴木安太が申し渡される。近頃、御中屋敷にいた瑞祥院様(徳川吉通正室)の足軽・中…

またまたはだか祭の年男拉致

正徳5年1月14日。戌(午後7時)過ぎ、御園岡寺兵助の町屋、空家であったが2階の上から火が出る。すぐに消し止める。放火かと、ここは質屋次郎兵衛の家であった。昨日、儺負で丸淵村の者を捕らえる。

今の備蓄米でもこの輩がいるはず

正徳5年1月6日。琉球人が昨夜熱田に泊まる。この日辰(午前7時)頃、本町を通る。文左衛門と弥次右は、昨日合羽屋惣兵衛から4つ時(午前10時)に通るのでは知らせてきたので辰(午前7時)過ぎに惣兵衛のところへ行くと、既に通ったあとであった。こ…

誰でもが御使になれるわけでなく、なるにはそれなりの地位が必要

正徳5年1月4日。五十人松平定助・相原六郎左衛門が江戸へ出発する。添使者御馬廻池部源之亟は、口宣を持参し、6日に武州へ出発する。雲州様(松平義方)衆佐藤作大夫が御鑓奉行並になり、この日京への御使を仰せ付けられる。

任官の御礼でした

正徳5年1月2日。御供番小森・石川はこの日京から名古屋へ戻る。

正徳5年1月の地震です

正徳5年1月2日。寅(午前1時)過ぎ、地鳴りと揺れがある。昨年冬の大地震以来毎夜この時刻に地鳴りと揺れが必ずある。正徳5年1月3日。丑(午前1時)前、地鳴りと揺れがある。正徳5年1月5日。この夜から地鳴りがして揺れることはなくなる。ただし…

正徳5年1月の天気です

正徳5年1月1日。晴。正徳5年1月2日。快晴。夜、風が吹き、家を揺らす。昨年冬の地震前後から風が吹いていなかった。今夜初めて風が吹き、寒い。亥(午後9時)から雪が降る。その後雪が止む。正徳5年1月3日。晴。昨夜の雪がまだらに積もっている。…

今でも年末は物価高騰

正徳4年12月29日。文左衛門は年末の2分(2割)の米を源助に頼み、1両で4斗8升で売払う。銭は1両で3貫200。1分で812、3文。切賃は70文。餅米は1両で4斗7升。文左衛門は弥四から大豆を買い求める。1両で5斗5合ずつ。肴も少なく高…

確かに怪しい

正徳4年12月28日。近頃、疱瘡が流行る。円覚院様(徳川吉通)の葬送・廟・霊屋の用務を務めたことで御普請奉行・御作事奉行甚左・丹左、御屋敷奉行安藤加兵衛・津金庄助などに褒美が下される。加平治などは文左衛門などと一緒に夕暮れに安左で申し渡さ…

頼母子が中止もあるんですね

正徳4年12月27日。文左衛門の今年の知行所での取れ高と未納米を合わせて7石8斗4升7合。夕暮れから文左衛門は瀬左と八郎右へ出かける。昨年冬の1両1分の頼母子の䦰であるが、本金返しにするとのことで瀬左と文左衛門は1分ずつ請け取る。夜食を頂…

ここの四日市は地名でないと思います

正徳4年12月26日。蔦木丹左から四日市が延期されていたのでようやく今日準備が整うと。御国奉行から江戸へ遣わす。瑞祥院様(徳川吉通正室)が建中寺を詣でる。

官位を貰えば御礼

正徳4年12月23日。兵部殿が任官につき京へ御使として出発する。御供番は小森八郎兵衛・石川元右衛門。奉書には小畑十大夫。

こりゃ怨恨か

正徳4年12月22日。夜、津嶋米之座の福徳屋という酒屋の放火で5、6間が焼ける。宵に1度放火されたのを消し止めたが、また夜更けに放火される。

参内とはこれは凄い名誉

正徳4年12月21日。朝早く文左衛門は御頭へ出向き、任官を祝う。昨日、廻文がある。定光寺麟山が参内し、天盃を戴く。妙心寺へ羽室右京が御使としてやって来る。その時のため名古屋から足軽8人、その内の1人は小頭が行く。幕を5帳張り、その内2張り…

挨拶は重要

正徳4年12月20日。公昇進祝儀の年寄衆からの使者がこの日尾張を出発する。

松平通温という方にはこの後不幸な晩年が

正徳4年12月18日。出雲守様(松平義方)・安房守(松平通温)が少将に任ぜられる。

ゆふ?

正徳4年12月16日。春日井郡六師村観音寺高琴が先頃入院する。同郡能田村雲昌山寿昌寺と僧2人がやって来てゆふ(人名?)を連れていく。夜、巾下で火事との噂がある。詳しくはわからず。

名前を変えないかんのですか

正徳4年12月15日。瑞祥院様(徳川吉通正室)が稲荷を参詣する。夜半過ぎ、西枇杷島で少し火事がある。寅(午前3時)過ぎ、巾下新道焙烙町民家2軒が焼失する。焙烙町は海福寺の南を入ったところ。奥田忠助を忠右衛門と改めて年始の名代として18日に…

万松寺へ、万松寺が、どっちでしょう

正徳4年12月14日。万松寺入院。

これ少なくないです

正徳4年12月13日。この日聞いたところでは、舎人八左衛門は免が8分であったので700石で49石を取ると。

商売は奥が深い

正徳4年12月11日。巳(午前9時)前、文左衛門は瀬左へ頼母子に出かける。文左衛門は5両を得る。5両は自厭が得る。吸物・酒を頂く。米は4斗3、4升。銭は3貫250。切賃は80文。近頃、名古屋の町人桔梗屋・堺屋・奈良屋・備前屋などが夜な夜な…

短いですね

正徳4年12月10日。法事が終わる。建中寺へ20枚、寺へ3両ずつ、2つの隠居に時服2つずつ。

今の感覚だとまとめて行えば

正徳4年12月9日。名代は主税殿が勤める。但馬様(松平友著)から入仏事が行われる。

この方は徳川家光の長女なんですよね

正徳4年12月8日。霊仙院様(徳川光友正室)の法事が始まる。御馳走奉行は井野口治大夫・沢井織部・箕方善左衛門が勤める。惣門は近藤弥五大夫・橘田与左衛門が勤める。三門は遠山所左衛門・高田林左衛門が勤める。名代は兵部殿が勤める。摂州様(松平義…

こういう時こそ知行所のことを考えないと

正徳4年12月7日。近頃、寄合稲葉九郎左衛門知行濃州三ケから少しも年貢が出ないので小舅分の朝比奈半左衛門の支配人に頼み、遣わす。巾下で夜明け前であったので本角(交差点?)で馬がぶつかり、支配人が落ちて死んでしまう。沢井織部知行鹿田の百姓が…

悪人だなあ

正徳4年12月6日。文左衛門は七七日の餅2斗3升を撞き、あちこちへ配る。寺へも大小49を遣わす。8日から10日までの法事中物静かにするよう廻文がある。上田伴右衛門の悉皆人猪股平右衛門はかなりの借金で手鎖となる。伴右が元方(金銭や物品の収納…

そのための俵だったんですね

正徳4年12月3日。文左衛門は今朝口米を差し上げる。十郎右と車を用意し、200丁64文。今朝の天気を考えて、大岡半之右と加藤紋大夫は米を遣わせず。このため巳(午前9時)頃、御蔵の日用で急に遣わす。1人前400文ずつと云々。磯貝武右の米を検…

禁漁の場所は魚が集まる

正徳4年12月2日。任官の廻状がある。近頃、伊勢安濃郡あこぎ正徳4年12月2日。 任官の廻状がある。近頃、伊勢安濃郡阿漕塚(浦)で漁人が網を引いていると怪しい姿のものが船に飛び込んだ。阿漕塚は昔から殺生が禁止されていた。漁人が叩き、急いで船…

稽古浄瑠璃は本番前の稽古

正徳4年12月1日。文左衛門は口米の俵を5つ拵える。稲荷で稽古浄瑠璃が始まる。1段の床代は1人3銭ずつ、その後夜の浄瑠璃は中止となり、昼だけとなる。