2024-09-01から1ヶ月間の記事一覧
正徳2年2月3日。雨が降り出した後、堀川へたくさんの小うなぎが潮に乗って浮いてやって来る。前代未聞と云々。家々から桶・たらいをたくさん持ち出し、小うなぎを掬い取る。大きさは煙筒(ラヲ、煙管)より少し大きいと。
正徳2年2月2日。近頃、田辺太左衛門が使者の勤めを終えて戻る。紀侯から時服2・長福様から時服3、銀子を2人から15枚下された。
正徳2年2月1日。昨年冬、年貢を割り当てて村や町に金を差し出すようにと役人から申し渡したが、近頃これが中止となる。
正徳2年2月5日。建中寺を詣でる。正徳2年2月13日。5つ半(午前9時)、供揃えを行い、4つ(午前10時)過ぎ、南屋敷へ馬で出向く。細野新次郎弟子の馬を見物する。次に松井清兵衛弟子、次に太田半右衛門弟子が乗る。新次郎は御前に召し、声をかけ…
正徳2年2月1日。時に薄曇。風が吹く。寒さは夜に和み、晴れる。正徳2年2月3日。曇。巳半(午前10時)から雨が降る。申(午後3時)過ぎからジメジメする。深夜に雨が止む。正徳2年2月4日。晴。時に曇り、あるいは時々晴れる。夜、晴れる。丑(午前…
正徳2年1月29日。戌刻(午後7時)、東照宮仮遷宮が行われ、楽ならびに経が行われる。亥(午後9時)頃過ぎ。門内の番所成田藤右衛門が勤める。
正徳2年1月27日。東照宮仮遷宮の廻文がある。
正徳2年1月24日。竹腰山城守が名古屋に到着する。
正徳2年1月22日。近頃、横井源五兵衛が江戸へ出発した。これは日光への社参を言いつけられたので奉書がやって来たため。2月15日に大樹へ源五兵衛は御目見した。18日、明け方8つ半(午前3時)過ぎから津守様(松平義行)屋敷西の全勝寺という禅寺…
正徳2年1月19日。里小牧の小作という者が畑耕作に出かけ、黒田村の畑で30ばかりになる女が切り殺されているのを発見する。浅いの傷11ヶ所を負っており、そのうち咽は貫かれていた。手のひらも両手ともくくられていた。孕んでおり帯をしていたが、下…
正徳2年1月16日。近頃、駿河町下で温泉が湧き出ると云々。実は隣大屋の水風呂(沸かして入る風呂)から水を抜いていると、水の管がつかえ、もぐらもち(もぐら)の穴から噴き出しこの如くと云々。
正徳1年1月15日。熱田の神事の際、杖を持って見物人を制していると杖が侍に当たり、侍はこれを叱りつけた。杖付は誤て(謝って)伏せたが、側にいた杖付十兵衛という者がこんな時に杖が当たったぐらいで伏せるようなことではないと云々。侍は含むところ…
正徳1年1月14日。巳(午前9時)頃、文左衛門は文四で酒を頂く。それから曲淵源兵で酒を頂き、双六を打つ。夕飯後に弥四郎へ出かけ、爆竹(左義長のたく火)を見物する。その後膳が出て、夕暮れ前には新兵衛・半七もやって来てまた酒を飲む。三弦・音曲…
正徳2年1月10日。この夜のことか、長久寺門の東の町屋へはり紙があった。権助という者に恨みがあるので火を付けると云々。
正徳2年1月9日。昨年冬か、近頃のことか、渡辺七左衛門に金70両が下された。
正徳2年1月6日。姫君様の名代として甚大夫が定光寺へ出かけた。新居村半左衛門という商家へ召仕2人が入り、酒を頂いて口論となり、そこを出て15、6町(1町は約100メートル)ほど行った丸久手前というところで中間が槍持ちを切り、小さな傷2ヶ所…
正徳2年1月5日。昨年冬、紀侯に男子が生まれたので使者として田辺太左衛門が尾張を出発する。
正徳2年1月2日。丑半(午前2時)、文左衛門は近所の仲間と共に修理殿へ例年のように挨拶に出かける。書院で熨斗が出る。寅半(午前4時)、城へ出向く。卯半(午前6時)に始まり、中休みが1度ある。巳刻(午前9時)過ぎ、文左衛門は盃を頂戴し、多門…
正徳2年1月1日。松姫様疱瘡の使いとして五十人頭神谷三郎左衛門が江戸へ出発する。寄合後藤伴蔵も後日出発する。近松幸安は年頭の礼として法眼なので太刀を献じようとしたが願いは叶わなかった。目につくようにしろとのことで、10本入りの扇箱で礼をす…
正徳2年1月1日。御礼の規式が例年通り行われる。正徳2年1月3日。謡初めが例年通り行われる。公の肩衣を差し上げるので、隼人正から八左衛門に下される。八左衛門と源之丞と両大夫が勤める。正徳2年1月4日。梅昌院様・八三郎様へ出向き、言い残して…
正徳2年1月1日。快晴。正徳2年1月2日。快晴。夜、曇る。正徳2年1月3日。曇。時々わずかに雨が降る。昼過ぎから晴れる。正徳2年1月4日。晴。夜、曇る。正徳2年1月5日。曇。昼過ぎから晴れる。正徳2年1月6日。朝、少し雹が降る。快晴。近頃…
正徳1年12月1日。朝鮮人が起で昼休憩の際、対馬守家老大浦忠左衛門の下僕が何者かに少し切られる。このため忠左衛門など人数を集めて相手を探したがわからなかった。往還の通行をあやうく妨げると云々。この地の代官小沢九郎左衛門から日本国中から集ま…
正徳1年12月30日。二の宮神主重松織部に公が召された精好(セイコウ)な直垂を下される。これは前の神主が瑞竜公から袍(わたいれ)を拝領した例にちなんで願い出たところ、当分古い袍はないのでと直垂を下される。社家の直垂は吉見以外ではこれが初め…
正徳1年12月30日。近頃、石川一学に黄金3枚と時服。平田半右に羽織を下される。これは能の用務を務めたことに対してのこと。甚太と新六に黄金1枚と徳福2つずつを下される。これは朝鮮人用務を務めたことに対して。少し前、奈須信安が大坂で宗対馬守…
正徳1年12月29日。年頭御礼の廻文がある。
正徳1年12月27日。建中寺など歳暮の御目見がある。25日の日付、目付林文四郎の名で先給先請の廻文がある。近頃のことだろうか、竹内無遊の子勇寅が内室から15両ずつ金を下されると云々。腰の廻り(小刀を用いる柔術)の師であった。50ばかりの髪…
正徳1年12月26日。近頃、大津町あたりで火が出ようとした。近頃、常明寺前蛯江休夏隣から火が出ようとした。
正徳1年12月23日。文左衛門は役料米を1両9斗3升5合で売り払う。米11石を9斗4升5合で売払う。
正徳1年12月22日。亥(午後9時)過ぎ、酒井金太夫裏の隠居屋から出火し、蔵も焼ける。この日は煤掃き(煤払い)で、隠居屋のあげくど(竈)で1日中火を燃やしていたが、椽下へ燃え移ったと云々。近頃、平岩瀬兵衛から火が出ようとしたと目付へ届けが…
正徳1年12月18日。文左衛門は卯半(午前6時)に家を出て植田山に出かける。久次が先に行っていた。大鹿2頭を捕らえ、篭に入れて水野へ遣わした。残りの17頭は鉄砲で撃ち、あるいは網にかかったのを大勢で押さえて咽を掻いたり、棒で叩いた。男鹿の…