名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

白状したか

宝永4年11月18日。
佐藤金左衛門の最期の詮議が杢右(ママ)のところでの行われ、偽るようであれば町奉行に渡すと云々。
このため残らず白状すると云々。

そりゃ爆発でもしたら大変だから

宝永4年11月18日。
申(午後3時)頃、頼母子のくじが行われ、源太左と政之右に落ちる。
源太左・宇右から1両2分金を出す。
これは昨年の親なし頼母子の元金を返すもの。
文左衛門と瀬左は2分、加兵・真野都は1分ずつ得る。
来年、また1両2分を2人は返済するはずである。
少し前から末森の蔵へ深井の塩硝を移し始める。
3日引いては3日休息する。
1日に6車ずつ引いて行き、1度には2車ずつ、3回間をあけて引いて行く。
次ぎ(交代?)人足でこれを引いて行く。
先手の足軽などが車に従い、押の者も1人従うが、側ではなく6車の間に1人がついて行く。
町ではとても火に気を遣い、町代は出歩くことを戒める。
町奉行足軽も車の通る街並みに出て、通り過ぎるのを警固する。