名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2人におこぼれはないのですか

宝永1年9月18日。
小菅一郎左衛門が前にある堀の芦を中市場からやってきた町人足吉兵衛と刈っていると、泥の中から鰐口(鉦)1つを拾い出す。
指し渡し(直径)は8寸(1寸は約3センチ)ほどある。
その銘には、
奉寄進可児郡大原村 思うに美濃。
高社御神前 思うに富士権現を高山の上に勧請する。タカヤシロと。
慶安第四年辛卯九月如意。
珠日林左兵衛尉勝明 思うに今の旗本林丹波の祖父で知行所であったので寄進する。
この鰐口について水道奉行は城代衆へ報告する。
町奉行衆へ引き継ぎようにと申されたので町奉行衆へすぐに渡す。
検断物(没収品)となる。

7月に牢に入った女たちですかね

宝永1年9月14日。
申(午後3時)頃、星野七右衛門宅で代官奥田彦九郎は役を解かれ、小普請となる。
手代、内詰まで残らず扶持を召し上げられる。
仰せ渡しには彦九郎は鳴海女のことで不始末があり、役をおろそかにしたと云々。
彦九郎はこの役を19年務めていた。
近頃、鳴海の女を残らずそれぞれいたところへ元のように返される。
庄屋金右衛門は牢に入る。

このような素晴らしい僧侶もいます

宝永1年9月11日。
大光院逸堂が万松寺の住職となり、善篤寺は大光院の住職となる。
この逸堂は金銀に手を触れることはせず、無欲な堅物であった。
慈悲礼儀深く、かつてお褒めにあった坊主であると。

伊勝山宗寿へ行くのはたんに酒が飲みたいため

宝永1年9月5日。
昼前から文左衛門は瀬左・加兵と伊勝山宗寿のところへ出かける。
酒などを飲み楽しむ。
申半(午後4時)に帰り、勝曼寺を詣でる。
宝永1年9月9日。
巳半(午前10時)過ぎから文左衛門は瀬左・加兵・源太左・友弥と伊勝山宗寿へ出かける。
道すがら酒などを飲む。
山で飯を炊かせ、1日中酒を飲みはなはだ楽しむ。
戌半(午後8時)前に帰る。

勧進能は寄付を集めるためのものです

宝永1年9月2日。
この日から飴屋町で勧進能が行われる。
役者付。
太夫は川勝権六。
ツレは柘植佐兵衛、北村小太郎。
子役は品村浅之丞、川勝酉三郎。
ワキは山本伝左衛門、吉田十郎右衛門。
笛は藤田三右衛門、勝山弥平次。
小鼓は稲見喜左衛門、三上勘助、坂井右兵助、竹山平七。
太鼓は櫛橋丹七、楓井右衛門八、山本平之丞。
太鼓は小寺与惣治郎弟子1人。
狂言三宅藤九郎弟子6人。
地謡は10人。
外に作物師(作り物の製作者)、後見(裏方)衣装きせ(装束を着せる係)。

知らないこともあるんですね

宝永1年9月1日。
未(午後1時)前、巾下万松寺領の又右衛門という者の小家から火が出る。
直ぐに消し止める。
文左衛門はこれを知らなかった。

宝永1年9月の天気です

宝永1年9月3日。
雨が降る。未半(午後2時)過ぎに止む。夜、段々と晴れる。
宝永1年9月4日。
晴。
宝永1年9月8日。
申(午後3時)過ぎて曇る。夜、大雨となる。夜が更けて止む。
宝永1年9月9日。
曇。時に薄く日が差す。時に曇る。巳半(午前10時)過ぎて晴れ始める。時々、曇る。夜、晴れる。
宝永1年9月10日。
晴。
宝永1年9月11日。
夜、曇る。夜中から雨が降る。
宝永1年9月12日。
雨が巳(午前9時)前に止む。
宝永1年9月13日。
巳(午前9時)前から曇る。昼過ぎから雨が降る。夜も降り続く。
宝永1年9月14日。
雨が降るが、巳(午前9時)頃、止む。薄曇。
宝永1年9月20日。
曇。辰半(午前8時)過ぎから雨が降る。申(午後3時)過ぎに止む。夜、晴れる。
宝永1年9月21日。
晴。
宝永1年9月23日。
日没後、夜更けに雨が降る。
宝永1年9月24日。
雨。辰(午前7時)過ぎに止む。昼前から段々と晴れる。
宝永1年9月25日。
薄曇。
宝永元年9月28日。
曇。
宝永1年9月29日。
快晴。寅刻(午前3時)、雷が1度轟くと。
宝永1年9月30日。
曇。辰(午前7時)前後、雨が降るが、その後止む。巳(午前9時)から段々と晴れる。辰(午前7時)頃、雷が1度轟くと。文左衛門はこれを知らず。後で夕暮れに雷があったと。